BOOKBOX|「法律家の目で描くパリの街」広瀬元康






























エッセイは、日本語で書かれていますね。

そうですね、実は結構迷ったところでもあります。最初は英語でもよいかと考えたこともありました。

仕事でも旅行でもそうですが、言語というのはコミュニケーションの道具ですから、いくつか選択肢がある場合にどれを使うかは、目的との関係で相手に一番伝わりやすいものを選ぶ、ということになります。

私が書くエッセイは、主にフランスで起きる事象を日本人の目から日本人向けに知ってもらおう、というモチーフに基づいています。フランスのことをフランス語や英語で書いた文献ならいくらでもありますが、多くの場合、書き手が日本のことをあまり知らない欧米人でしょうし、外国語に非常に堪能な日本人でも、日本の視点から強い共感を得るのは難しいのではないでしょうか?

結局、日本人が日本人に向けて発信するパリの街角の情報ですから、思うままに日本語で書けばよいのでは、と思ったのです。

ただ、法務翻訳でもいえることなのですが、外国の概念を無理やり日本語で説明しようとして、その訳語がもともと日本国内の用語としても既に存在し、原語になった外国語とは別の意味を持っている場合には注意が必要なのです。私の連載記事「燃ゆる空 リアルパリ」の第6回記事の話題でもある「fonds de commerce」は、日本語では「営業権」と訳されることが多いですが、日本のビジネスに精通した日本人の会社員には、実はかなりミスリーディングなのです(この点については、機会を改めてまた書きます)。

それはそうと、もちろん機会をいただければ英語やフランス語でエッセイを書いても構いません。

日本語について、どんな印象を持っていますか?

日本にいて外国語を学んでいるときは、日本語は結論が最後まで出てこなくて回りくどい言葉、論理性に乏しいなどと、どちらかといえばネガティブな印象を持っていました。

フランスに定住するようになって、もちろん現地ではアルファベットの横文字ばかりを毎日見ているのですが、不思議なことに、日本語にも意外と欧米の言語にはないわかりやすさがあることに気づきました。

それは、漢字とひらがなが混ざっているため、遠目に文章を見ても漢字の部分がビジュアルで目に止まります。そして、お堅い文章であれば面白いことに、画数の多い複雑な漢字はそれなりの重い意味をもっていますから、その部分さえ目に止まれば大筋で読み落とすことはないのです。

その意味では、文字自体が視覚に訴える言語で、斜め読みには便利な言語であることがわかります。アルファベットの言語を母語にする外国人にとっては、周知のとおり日本語は習得が最も難しい言語の一つですが、文字が何千種類もあることのメリットがこのような所に出てくるのだという一面もあります。

一方、英語はアルファベット26文字、フランス語はアクサン等でもう少しありますが、暗号や有機化学物質のごとく、その組み合わせのみで何十万、いや何百万という事柄を言い表そうとするのは、これまた文明の産物でしょう。

英語やフランス語など、他の言語と異なりますか?

日本語が漢字とひらがなで強弱をつけているとすれば、英語はアクセントでしょう。学校で習う英語でも、アクセントがどこにあるかを問う試験問題があるように、口語英語が通じるかどうかは、アクセントの正確さで決まると言っても過言ではありません。

そのため、アクセントの乏しいフランス語を母語にするフランス人が話す英語は、ネイティブのアメリカ人でも聞き取りにくいと言うことがあります。パリでは毎年、国際仲裁で有名なICCという機関でセミナーが行われ、世界中から弁護士らが集まります。そこではフランス人が英語で講義を行うのですが、それに出席した私の知り合いのアメリカ人がそう言っていたのです。

一方、フランス語は発音や文法がややこしいという人がいますが(大学の第二外国語で選択した方の多くはそのような印象をお持ちではないでしょうか。「鬼」教官に性と数の一致、活用ミスの減点法でひどい点をつけられた苦い経験を持つ方も少なくないでしょう)、実は慣れてしまえばかなり機械的で、ワンパターンです。特に私が扱っている法律のような分野は、定型表現が多いのでなおさらです。

私はこれまで、英語ができる人はフランス語の習得も早い、すなわちフランス語は英語の先にある難しい応用問題だというような感覚を持っていました。ところが、実はそうでもないことがわかりました。

フランスにいる日本人をみると、フランス語は何不自由なくできるのに、英語は全くもって使えないという人を多く見ます。フランスに住んで英語でなくフランス語のほうを毎日使っているのだから当然だという意見もあるかもしれません。ですが、英語圏では何年住んでも使えない人は英語を使えるようにならない、しかしフランス語圏ではある程度時間をかければ多くの人がコミュニケーションに困らない程度にフランス語ができるようになっているのです。その意味で、英語習得はフランス語以上に一種のセンスのようなものが必要なのかもしれません。

英仏語を比較したときの面白い現象がもう一つあります。私は法務翻訳をやっていたことがあり、現在でも弁護士業の一部として時々やるのですが、同じ単語数の英文や仏文を和訳しても、英文の場合には語数が多くなり、仏文の場合には語数が少なくなるのです。同じ日本語のネイティブが同じような内容について書いているのですから、日本語にしたときの冗長さは英文和訳でも仏文和訳でもそれほど変わらないでしょう。そうだとすれば、英語は限られた語数でいかに多くのことを言い表す簡潔な言語かということがわかります。

具体的には、日本語の文字数に0.46を掛けた単語数が英語で、0.54を掛けた単語数がフランス語というのが私の統計的な平均値です。

話がそれますが、私はフランス・パリのEurasiamという私立大学で、日本の企業法を教えています。学生はほぼ全員フランス人なので授業はフランス語で行っていますが、試験では英語・日本語で書いた学生にはボーナス点を与え、外国語習得のインセンティブを与えるようにしています。

法律の小論文を日本語で書く勇気のある学生は今のところ見ませんが、不思議と外国語であるはずの英語で書くと、むしろ理解が整理されて簡潔に的確な解答ができた、と言う学生もいます(英語の文法ミス等は散見されても、もし日本でこの英語でビジネスをやって日本人に大意が伝わるな、と思ったら減点しません)。その意味で、英語は同じ物事を表現し、人に理解させるのに最も直截的で無駄をとことん省いた言語なのでしょう。弁護士をやっていても英米のクライアントが極めて合理的なビジネスによってもたらす案件のほうが、金回りが良いのがわかる気がします(笑)。