普段、どのようなジャンルの本をよく読まれますか?
仕事柄、法務・コンプライアンス関係の専門書や雑誌がどうしても主になりますが、語学の勉強が趣味みたいなものなので、米国弁護士として恥ずかしくない英語力の維持、ソウル時代に身につけた韓国語のレベルアップと昔一度挫折した中国語(マンダリン)の勉強のために、これらの語学関係書もよく読んでいます。
昔からミステリー小説の大ファンなのですが、仕事に追われてゆっくり読書する時間がないので、学習欲と読書欲を同時に満たすために日本やアメリカのミステリー小説の韓国語翻訳版を読むこともあります。
最近、詠まれた本で印象に残ったものは?
東野圭吾の「容疑者Xの献身」やJOHN GRISHAMの「THE BROKER」は韓国語で読みましたが、とても面白かった。ただ、実は両方ともまだオリジナルを読んでいないので、面白いと思った部分がもしかすると私の誤訳かもしれないという不安があるので、日本語で読んだ人と感想を語り合ったりしないようにしています。
翻訳には時間がかかるので、韓国語版を待っていると、どうしても時代の先端の話題にはついていけないという弊害もあります。でも限られた時間を有効に使うにはいい方法だと自分的には思っています。
エッセイは、日本語で書かれていますね。
仕事のメールやメモは英語で書くことが多いので、日本語でエッセイを書くのはある意味新鮮です。英語や韓国語に比べると、日本語は非常に柔軟で受容力のある言語だと思います。
文字だけをとっても何千もの漢字に加えてひらがな、カタカナという二種類の表音文字を持っている。このように多彩な文字を組み合わせて使うことのできる言葉は世界中でも他にはないのではないでしょうか。
日本語について、どんな印象を持っていますか。
同じ言葉でも漢字のみ、ひらがなのみ、カタカナのみ、またはこれらの組み合わせで書き表すと、視覚的にも読み手にとっての語感も全く違ったものになる。表現のツールとして無限の可能性を持っている言葉だと思います。
ただ、逆に外国語に翻訳するときにこれらの微妙なニュアンスを出すことが難しいという問題もありますが。
弁護士も「言葉」を大切にしなければならないプロフェッショナルですね。
日頃、「言葉」に対する感性とか、思い入れは、どのようにお考えですか?
弁護士としてだけでなく、社会生活におけるコミュニケーションの中心はやはり「言葉」なので、自分の意図が正確に相手に伝わるよう、表現には気をつけるようにしています。
ただ、「話し言葉」の場合は「書き言葉」に比べて安易に発信しやすく、後悔するケースも多い。私の場合、英語や韓国語で話をするときの方が、頭の中で十分に準備をしてから発言するためか、日本語で話すときよりも失敗が少ないように思います。
日本語で話すときも、自分自身で十分咀嚼し納得してから発言するようにしたいのですが、考えすぎて本当に言いたいことが言えなくなったり、よそよそしい話しぶりになったりしてしまってもいけないので、これがなかなか難しい。永遠の課題です。
あなたのエッセイが電子出版されます。
電子出版は今後も急速に普及していくと思いますし、個人的にもポジティブにとらえています。
専門書をあちこち参照しながら読んだり、難解な小説を先に行ったり戻ったりしながら読む場合にはハード・コピーの方がまだまだ便利だと思いますし、お気に入りの蔵書を本棚にならべて悦に入り所有欲を満たす、というようなことも電子出版による電子書籍では難しい。
でも、ネット接続さえあれば世界中のどこにいても最新の出版物にアクセスできるというのは、私のように出張や移動が多い人間にとってはたいへん有難い。
また、発信者としても、既存の流通ルートに縛られず、より多種多様な発信者に出版のチャンスが与えられるという面もあるのではないでしょうか。