『教師の品格』の著者(本誌連載「続・教師の品格」もお見逃しなく!)として知られるカリスマ教師柳谷晃氏は、そもそも数学者。専門は微分方程式とその応用だという。
Wikipediaによると、たとえば、エイズ感染による総人口の推移がコンドームの使用率、性交渉の頻度といったパラメーターを変化させることでどのように変わるかといった研究など、「数式」とは一見無関係な現象を「数学的に」解きほぐしていく。
つい最近も、『その「数式」が信長を殺した』を出した。
『時そばの客は理系だった』で話題を振り巻いたかと思いきや、
『冥途の旅はなぜ四十九日か』でベストセラー。
『忘れてしまった高校の数学を復習する本―高校数学ってこんなにやさしかった!?』 は今なおロングセラーを続けている。
他に、著作物はざっとこんなかんじだ。
驚異的なのは、駄作といったものが見当たらない点だ。まさにアベレージヒッター。
『算数嫌いをひと目で解決!“つまずき”サインチェックシート』
『柳谷のセンター数学基礎講座-数学Ⅰ・A・Ⅱ・B(数列・ベクトル)』
『大学入試数学頻出問題総演習―数学IA・IIB(文理共通編)』
『大学入試数学頻出問題総演習―数学III・C (理系編)』
『これはすごい!数学が使える人の問題解決法』
『事例でわかる統計解析の基本 』
『手にとるように統計学がわかる本―身近にちらばる数値のカラクリ』
『お父さんもお母さんもわかるそうだったのか!「算数」』
『そこが知りたい!微分・積分』
『そこが知りたい!数学の不思議』
『世の中のことがわかる数学の雑学―これは役立つ!トイチの怖さ、噂の確率など22項を読み解く』
『男と女のすべてのことは数学でわかる―「出会いの確率」から「相性のいいパートナーの秘密」まで』
『あなたにこの問題が解けますか!!―和算術による大人のIQテスト』
『田中ちわわの100クイズで中学数学がわかる本』
学者の書き物の多くは、面白い切り口なのに難解で読みにくく、高度に専門でありながら無味乾燥な文字で埋まっていたりして、とてもベストセラーなんかにはならない。
柳谷晃先生の書くものは、数学を専門としない僕らに向けての一杯の珈琲。気分がほぐれるし、なにしろテーマが興味深く、気持ちいい。数学をツールにして世界を眺めようとするのだから。
学生や社会人に数学を教える傍ら、数々の鮮烈な著作物を放っている柳谷晃先生。
とても忙しいはずなのに、数学とクロスする世界をかるがると飛び越えながら、次から次へと著作物を量産できる。いったいなぜ?
柳谷先生に、「書くこと」の柳谷流アプローチとテーマ感について、お伺いした。
執筆では、苦労とか悩みとかあるのでしょうか?
普段話していることきでも、論理展開が順序を追わないで飛ぶらしいのです。自分では気が付いていません。
だから、文章にすると、読んでいただいた方にうまく内容が伝わらないと、編集者の方にクレームを言われます。そのときには、素直に良く考えて、文章を直します。
書いている間に、だんだん気分が高揚して怒ってしまったりして、ちょっと過激になる時があります。ただ、友人はそれでも丸くなったといわれます。(笑)
『教師の品格』では?
『教師の品格』でも丸くなったといわれました。(笑)
あの本は、一番感謝のお電話やお手紙が多かったですね。教師からではないですよ。学校でいやな思いをして、今でもトラウマが残っている大人の人たちがコメントをくれました。やっとトラウマが取れました、って。
最近は、丸くなったのは反省して、もっと攻撃しようと思います。(笑)
ベストセラーの秘訣ってありますか?
後は、人に助けられます。自分のほうからおしゃべりするようになるべくします。
すると、相手の方も安心してお話してくれます。
本当は余り人と話すのは得意ではありません。
『忘れてしまった高校の数学を復習する本』は、長い間、ロングセラーを続けていますね。
この本は、学校を卒業された方が数学をもう一度、速く勉強できるように作りました。
今、会社などで数値で社員を縛ります。その数値にどの位の意味があるかどうかわからずに縛られます。統計という言葉は、statisticsですが、stateと語源は同じです。
すなわち、国の状態を把握し国民を幸せにする数値ですね。それを人間を縛るほうに使うとは、本末転倒。
さらに、その数値で会社の行動を、役員会で決定し、失敗したら、その数値が悪かったというように重役が逃げる。その数値を使った判断をしたのは自分の責任であることは問わない。
しかし、社員には数値で責任を取らせる。少しでも、そういう人たちが会社に反論できるように使っていただけたらと思っています。たちの悪いコンサルタントと戦えるように。(笑)
数学を武器にしてほしい、という願いですか?
専門用語を分かりやすく、たちの悪いコンサルタントや重役に反論できるように説明するのは難しいですから。まじめに努力している人が、人の上前で稼いでいるやつらにだまされるのはおかしいですから。
教師でも同じです。何も実力がなく、教える力がないのが、「教師づら」は許せませんね。
自分の好きな数学を、人を不幸せにするために使う人間は許せません。許しません。
数学を応用して人が幸せにならないといけません。
超多忙だと思うのですが、どんな時間に、どんなふうに、書いていらっしゃるのですか?
高校、大学、講演の仕事をしながら原稿を作らせていただきます。
やはり、有限な時間の中で書かなければいけないので、睡眠時間を削るしかないですね。
くたびれたら、近くの山や海でよい空気を吸います。近くの温泉も良いですね。
著作物には批判もありますか?
テレビのコメンテーターが何も知らずに、余計なことを言うのが頭にきます。
特に、似非教育評論家とか、タレントを使った教師ネタの俗悪番組は嫌いです。実力があるなら「教育」評論家にはならないで「教育」の現場に関わってほしいし、もっとしっかりした仕事をするでしょう。テレビ文化も教育制度自体も金八先生を卒業しないといけません。
授業の実力がない教員に生きてる価値はありません。(番組時間の限られた)45分でどんな悪いやつも更生するのがばかばかしい。
政府の教育審議会などに呼ばれていかにも教育者然として教育に物申している経営者なんかも同じ感じでしょうね。現場を知らない分、そのスタンドプレーはもっとひどいかな。そういうのが多い。昔のNHKのようなニュースを読むだけの番組が懐かしいです。
本を出して嬉しかったことは?
皆さんに買っていただいて、読んでいただくのが嬉しいのは本当に嬉しいです。
電車の中で自分の本を読んでいてくださる方がいると、とてもほっとした気持ちになります。
そんな中でもとても嬉しかったのは、『パチンコとパスカルの意外な関係』の中で書いた、天気予報の確率についての文章を、四国の医療関係の大学の方が入試の論文出題に使ってくださったことです。
とても嬉しかったです。
一番売れた本は?
きっと、『忘れてしまった高校数学を復習する本』と『冥途の旅はなぜ四十九日か』でしょうか。
家は神道と仏教の中にいる家だったので『冥途』の題材は自然に出てきました。
ただ内容を調べて書くのは大変でした。いろいろなお寺さんのことを調べさせていただくのも、大変でしたが、楽しかったです。日本中に由緒のあるお寺さんがありますから。
京都を歩くのも好きですが、鎌倉も大好きです。
教師であり、数学者であり、作家としてもご活躍されています。本業は何でしょう?
一応、自分は数学者と思っています。
しかし、それは周りの方が決めることです。教師とは余り言われたくないですね。良い教員がいませんからね。日本の教員は教科の専門的な力が評価されません。本来これが一番大切です。教員の大学院大学とかができていますが、教え方とかそんなことしか教えません。
数学で言えば、教えている方もいい年をしてまともな数学の論文も書けず、ただ、どこかの都道府県で主事とか、校長とか、教育委員とかをやっただけのレベルです。習ってなんの役に立つのか。
それならば、普通の数学科の大学院に行って、数学の勉強をしてこいということです。うちの高校では、まともな論文を書ける数学の教員は4人。4人いるのは凄い数字です。他の学校は0人がほとんどです。
論文を書けなくても、学生に教えるならいつでも勉強しているということが大切です。教えるなら、自分が勉強することです。独りよがりの勉強ではなくて、本物である人に教わることも大切です。力がないのに自己流ではしようがない。
ある学会で少し年上の先生に言われました。
「先生は一般書を書かれているみたいに思われているかもしれません。ちょっとだけ仮定を変えて、定理を証明し、ろくな論文を書いてなくても、論文を書いたという人たちがいる。先生は、そういうことはしないけど、数学を少しでも正しい姿で、普及しようとしている。片手間な論文を書く人より大切な仕事をされている。」と。
分かってくれる人もいるようです。
最後に、メッセージか何かを。
最後ですか。(笑)
最後に、私は本が好きです。