BOOKBOX ライティングの未来形






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媒体道具進化論

自分のメディアを持つことはもう当たり前、HPやブログ、ツイッターだって誰でもカンタンに作れる。
書き込まなければ自前のメディアは完結しないし、素敵なウェブライフはやってこない。
だけどテキストって厄介だよね、ひとつひとつ意味があって。





マルチクリエイターの軽快フットワーク

バイリンガルマルチタレントとして、国内外を走り回りながら、聞く、話す、訳す、書く、まとめる。問題の底流はテキストの背景にある「文化」とは何か。
守備範囲は広くフットワークも軽い。自称動けるマルチクリエイターはTwitterやブログを駆使しながら、東アジアをテーマとしたフリーマガジンを計画中。

フリーランスの翻訳者として何年になりますか
母国語、専門の取り扱い言語、分野について、教えてください

正式にフリーランスとしてのスタートを切ったのは2008年7月なので、まだ2年弱です。ですが、それ以前も会社に属しながら、個人でも翻訳や編集の仕事を引き受けていました。

独立後、新しいジャンルにも積極的に挑戦してきた結果、キャリアの長さの割には幅広い活動ができていると思います。東京には社会人として約4年間を過ごした繋がりが、福岡には生まれ故郷に近い縁が、大阪には現在個人事務所を構えている地の利があり、それぞれの場所で少しずつネットワークが広がってきました。

幸い、大阪は東京と福岡のほぼ中間に位置していますし、そのどれも僕の好きな街なので、声が掛かれば喜んで現場へ向かいます。実際の仕事の打ち合わせの段階で、自分から提案もするのも好きです。

例えば、国内企業から英語の議事録の依頼があった場合、ICレコーダーを持って現場に行き、文字起こしをした英文を編集したものに、日本語訳をつけて納品することもできます。アクションが起こる場所に居合わせれば、急遽通訳をお願いされることもあります。そうやって、クライアントとコミュニケーションを図る中で、新しい仕事が積み重なった結果、いまの僕のスタイルが形成されてきたのかもしれません。母国語は日本語、専門は日英を問わず、国際政治、多文化主義、東アジア共同体、環境などです。


そもそも翻訳者になろうとした動機は

自分のことを未だに“Accidental translator”だと思っています。
およそ6年前に、翻訳会社に就職した頃は、まさか自分自身で翻訳を手掛けることになるとは考えてもいませんでした。これまで、きちんと翻訳スクールに通ったこともなければ、じっくり市販の翻訳の専門書を読んだこともありません。

ただし、16歳から足掛け10年ほどカナダで高校から大学院まで通ったこともあり、日本語と英語の関係については自分なりに熟考してきたテーマでした。学生時代は、研究のための文献として、翻訳書もよく読みました。その時は、まだ漠然としたものでしたが、翻訳という作業には魅力を感じていましたし、思い返せば、日本語で資料を読み、英語で論文を執筆するという作業を通して、無意識に翻訳との関わりができ始めていたのだと思います。

もう一つ、留学を通して学んだのは、日本では一括りにされがちな英語でも、国や世代、人種、経済的背景などによって、言い回しや語彙が大きく異なることを知ったことですね。言葉と文化は切り離せません。

もちろん、日本にも日本の文化に根付いた英語があります。僕はカナダに存在するたくさんの文化の中のいくつかで英語を学びました。それぞれの文化には独特の「空気」らしきものがあって、実際にその熱さや冷たさ、香りなどを、自ら体験することなく口頭で説明するのは難しいと思うのです。

僕が言葉を通じて実現したいのは、その独特の「空気」だという気がします。仕事として、翻訳をやってみたいと初めて強く感じたのは、翻訳会社でコーディネータをしていた時でした。他人の翻訳のチェックをしながら、いつも不完全燃焼な感覚が残っていたので、いつか自分でゼロからやってみたいという気持ちが生まれました。


これまでに手掛けられた翻訳実績についてご紹介ください

国際協力機関のリポートや官公庁の公式文書から、自治体や商業施設または観光用のパンフレット、アパレルメーカーのCSR報告書などもあります。
最近は、外資系IT企業や大手自動車メーカーのウェブサイト翻訳にも携わっています。


はじめて手掛けられた翻訳はどのようなものですか

カナダでの学生時代に、現地の日本語情報誌から、カナダの国内ニュース欄の執筆を依頼されました。これが最初の有償(ほぼボランティアに近い金額でしたが)の翻訳だったと思います。現地の新聞や雑誌をひたすら読みながら、毎週日本語で記事を寄稿するという作業でした。

なお、独立後にはじめて受注したのは、国内の政府系シンクタンクから依頼された、カナダの環境政策についての文書を日本語に訳すというものでした。比較的ボリュームがあったので、見積りや経歴書を提出してから、正式に受注するまで数週間を要しました。しばらく翻訳業界にいたお陰で、平均的な翻訳料単価は知っていましたが、いざ自分の商品に値段を設定するとなると…しばらく考え込んでしまったのを覚えています。


米国大手IT企業でオンサイト翻訳をされていますね

守秘義務の関係上、詳細まではお話できませんが、アメリカにある本社に赴いて、約10日間、缶詰状態で翻訳作業に徹します。非常に高度の守秘義務が課されておりまして、入口からトイレまで、徹底されたセキュリティの下、緊張感を持って職務に当たります。毎回、時差に慣れるのには苦労しますが、世界各国の翻訳者と机を並べ、デッドラインに向けて必死に共通の仕事に取り組むことができる環境は、小さな国連といった趣さえあります。

同じ翻訳者でも、国や言葉によって、抱える問題や迷い、悩むポイントが違うのはとても興味深いものです。機械化・電子化が進んだ翻訳業界で、物理的に人を集めるのは、流れに逆らっているのかもしれませんが、それ以上に血の通った翻訳ができているという気がしています。


翻訳の品質を維持するために、どのような工夫をされていますか

単純なことですが、納品前に自分の訳した文章を声に出して読み直してみて、不自然な箇所があれば、納得がいくまで修正を加えます。あと、「無意識に」「何となく」起こすミスだけは避けるように努めます。

もちろん、常に時間制限との兼ね合いですが、クライアントから一字一句に至る細かい質問があっても、すべてに確かな答えを持っているのがベストですね。そのためには、可能な限りリサーチをして、十分な確証を持つことです。プロジェクトに携わっているあいだは、新聞を除いて、それらのプロジェクトに関係ないジャンルの文章を読まずに、目の前のタスクに集中するようにしています。

他には、時間に余裕がある場合は、家族や友人など、第三者に訳文に目を通してもらって、客観的な意見にも耳を傾けます。


現在、受注している仕事は

大学院で専攻していた政治学に直結した、国際協力、アジアの政治、経済、環境に関連する案件が多いですね。個人的に特にこだわりの強い分野でもあるので、いつも以上に力が入ります。翻訳作業のために参考資料を読む際、それらに興味が広がってきて、ついついそっちにまで夢中になってしまうこともあります。


翻訳のどのような点が面白いですか

翻訳者として一番の喜びは、仕事のお話を頂く瞬間かもしれません。その文書または音源が、どういう経緯を辿って自分の下に来たのかを想像するのは楽しいですし、そういう一つ一つの出逢いを大事に思います。翻訳作業中も、クライアントを直接知っている場合はたまに顔を思い浮かべながら訳していきます。エンド・クライアントを知らない時でも、電話・メールでの連絡やリサーチをする段階で、勝手に頭の中に人物像ができてきます。人はこれを妄想と呼ぶかもしれません。すべてのプロジェクトには、関係する人たちのドラマが隠れていると思うので、翻訳者だけがドライではいけない気がします。自分が、客観的な立場から、語り部のように丁寧に物語を綴っているつもりになれば、どんなに長く単純な作業でも飽きずに続けられます。


通訳者としては、どのような通訳を手掛けられてきましたか

海外から表敬訪問があった際の国内企業での通訳や、インテリアデザイン事務所が外資系企業にプレゼンテーションを行う時の通訳もあれば、写真家に代わって海外のモデル事務所に電話してアポイントメントを取ったこともあったり、翻訳以上に幅広いジャンルの仕事をしてきました。ほかにも、インドで開催された国際会議での同時通訳や、自治体からの依頼でイベント会場で来賓のアテンドもしました。


通訳の仕事では、主に、どのようなことに心掛けていますか

通訳者として、心掛けているのは、状況を的確に把握することです。なので、クライアントからは、翻訳作業が発生するまでに至る経緯について時間をかけてヒアリングをします。通訳者は決して影のような存在ではありません。その声質や人柄、一挙一動で、現場の雰囲気は大きく左右されるくらい中心的な位置にいますし、それが商談だった場合は致命的です。そういう意味では、通訳者も一人の参加者として、クライアントと多くを共有しなければいけない気がしています。


最も印象に残っている仕事は

2008年2月に、インド(ニューデリーほか3都市)で『クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ(APP)』の一環として行われた、『石炭火力発電所の熱効率維持・向上に向けた取り組み(ピアレビュー活動)』に、通訳兼コーディネータとして参加したことです。

インドでは4人の通訳者のリーダーとして、日本人技師11名が発電所を視察する際の逐次通訳と、7ヶ国の代表が参加する3回の全体会議での同時通訳を行いました。現地で調達した通訳者2名の日本語がたどたどしく、もう1名の通訳者が体調不良で倒れた時は、突然僕が通訳者のブース入って同時通訳をすることになりました。同時通訳者としてのトレーニングを受けたことがない上に、休みなしで1時間近くの同時通訳を終えた後は、さすがに脳がショートしそうになりました。


ライティングや編集では、どのようなものを手掛けられてきましたか

2007年末に国際交流基金、外務省、早稲田大学によって主催された国際フォーラム『東アジアの異なる文化・社会・宗教間対話』に公式のリポーターとして参加しました。東アジア首脳会議(EAS)参加15ヶ国(ASEAN10ヶ国、インド、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国)と日本の若手知識人が東京に会し、国家間の外交や企業間の貿易の枠を超えた「人とひと」のレベルで、東アジア共同体の可能性について語り合うというイベントで、僕にとっては仕事を抜きにしても有意義な時間でした。10日間に渡る討論とシンポジウムでの発表を英文でまとめたものが、参加者の論文と共に報告書として出版されました。それ以外では、健康器具メーカーがアジア市場用に作成した英語版パンフレットの企画・編集、オーディオメーカーの海外向け商品パッケージのコピーライティング、外国の大使館や観光局が日本国内向けに発行する観光案内のテキスト編集も担当しました。


洞爺湖サミットで使われた資料作成では、日本語版と英語版の原稿作成から翻訳、編集と、一貫した媒体制作を行っています
このようなミックスした仕事を行う場合、心掛けていることは何でしょう。

単純に個人で引き受ける負荷が増えるという点では、確かに煩雑ですし、スケジュールとデータの管理には神経を使います。ほかの仕事と同時に進行するのは至難の業ですね。

けれども、すでに制作物のテーマやスタイルが固まっている場合、関わる人数を最小限に抑えれば、意思疎通を図るチャンネルがクライアントのみに絞られるという利点もあります。進行中に小さな変更や追加が発生しても、すべての作業を自分で把握できます。そうなると、プロジェクトが動き出しさえすれば、先の予定も立てやすくなるように感じます。


ライティングや編集取材では、どのような点について心掛けていますか

ライティングもエディティングも、主観が全面的に出てしまいがちな工程なので、僕の作業がそれまでの流れを間違った方向に変えてしまわないように、関係各所とこまめに連携を取るようにしています。特に、両方を同時に引き受けるケースにおいては、慎重にクライアントの承認を得ながら進めていきます。取材の具体例としては、国際フォーラム『東アジアの異なる文化・社会・宗教間対話』があります。

日本を加えた16ヶ国の参加者および主催者のみならず、講師の方々にも直接インタビューをした内容を、報告書の中に反映させました。これだけ多彩なメンバーを取材する際に注意したのは、先入観を取り払うことでした。

国が違えば、取材をする側にもされる側にも、どうしてもステレオタイプに近い考え方があり、まずそれを乗り越えなければ、短いインタビュー時間で核心に触れることはできません。僕が選んだ方法は、一方的に質問するのではなく、日本人としての僕の意見も交えながら取材するという方法でした。最初は自分の国のことを話すことに躊躇していた参加者も、日本の現状を知ると舌も滑らかになり、取材がスムーズに進んだ覚えがあります。


どのような点が難しいと

難しいのは、オリジナリティをちりばめた文章表現にも、自分らしい全体の見せ方にも、必ず責任が付随してくることでしょうか。それはライティングよりも、エディティングにおいて顕著だと感じます。ここでも同じく、『東アジアの異なる文化・社会・宗教間対話』での経験についてですが、アジアの中には言論統制されている国も多く、取材で引き出せた内容にも公式な報告書には掲載できない部分があります。それを踏まえた上でライティングをして、特定のコメントの使用の可否を判断しながらエディティングをするのは、非常に繊細な作業でした。

僕が生まれて初めて接する国の方々、ことさら当時大きなニュース(2009年9月、取材中に日本人ジャーナリストが銃撃され死亡)になっていたミャンマーからの参加者との会話の中では、政治状況など話してもらえないことの方が多いくらいで、いかに参加者の限られた言葉から重要なメッセージを読み取れるかに砕身しました。ミャンマー人の参加者2名からは帰国後の連絡先さえ明かしてもらえず、個人的に連絡を取ることさえできなかったため、最終的な判断をする際には細心の注意を払いました。ライター兼エディターである場合は、世の中に出るものに言い訳ができません。それを再認識しましたね。


では、どのような点が面白いですか

ライターとしての自分と、エディターとしての僕がお互いを監視し合うという状態では、視野は広がりますが、方向性はフォーカスしやすいので、作業が非常に楽になります。そういう時は、楽しみながら仕事に取り組めますし、軸がどこにあるかがハッキリするため、完成した作品にぶれが少なくなる気もします。

両方の役割を一人でやるからと言って、すべてが自分の裁量ということは決してなく、ほかの寄稿者がいる場合は、相談しながら、そちらの文章に軸を置く場合もあります。やり方次第でバランスも取れるので、プレッシャーには感じません。


twitterやブログで発信されていますね

Twitterはまだ始めたばかりで、日常の中で感じた些細なことを、不定期につぶやいています。ただし、必ず五七五でつぶやくというルールを自分に課しています。思ったことをすぐに発信できるのがTwitterの良いところではありますが、川柳方式にしているのは、ライティングの練習でもあります。

フリーランスという、あまり周りから干渉のない働き方なので、生活の中の色んな部分で、自分なりの課題をつくるようにしています。

ブログで公開する日記も定期的に書いていますし、10年以上前から自分用の日記もつけています。誰でもいいので、偶然僕のTwitterのページを見た人が、「これは面白いなあ」って思ってもらえたら、自然とつぶやきのトーンも1オクターブくらい上がりそうです。


「東アジアをテーマとしたフリーマガジン」を計画中とか

これは、僕の中ではとても重要なものになりそうです。「近くて遠い」といわれる東アジアを、すでに積極的に交流している移民や旅行者を通じて、もっと深く知って欲しいという考えに基づいた企画です。「アジア」という地域自体が過去に強引に作り上げられたものだとしても、距離的に近いからにはお互いを認め合える関係になるべきだと思っています。かと言って、読者を選ぶようなアカデミックなマガジンではなく、気軽に手に取れるものにしたいです。

実は、昨今の不況の影響もあり、当初予定していた出版社に代わり、新たに協力して頂けるパートナーを探しているところですが、デザイナー、ライター、フォトグラファーなど、優秀なスタッフがすでに揃っています。そんな多くの人の思いがこもったマガジンなので、1日も早く実現したいですね。


翻訳者やライター&エディターを兼ねていることの相乗効果をどのようにかんがえますか

色んな業種の、様々な職種のクライアントと仕事をしている中で思うのは、ボーダーやカテゴリー分けが多すぎるということでしょうか。どの世界でも経験を積む中で、専門性を持つことの大事さは疑いようがありません。僕も自分の得意分野で泰山北斗と呼ばれる日が来ることを望んでいます。ですが、たまたま準備されていた枠に自分を当てはめる、という割り切りは必要ない気もしています。

中世では、優れた歴史学者は哲学者でもあり、数学にも音楽にも秀で、神学の世界にも通じていました。しかし、いまは極端に分業化が進んだ世の中になっています。翻訳者もライターもエディターも、言葉で繋がっています。僕自身、まだそのネーミングを模索中ですが、「翻訳者」という肩書きだけでは表せない翻訳者になりたいと思います。

英語で”A picture is worth a thousand words”という表現がありますが、逆にたった一つの言葉でも1,000枚の絵に値することを信じて、言葉を大事に扱いながら仕事ができるライティングやエディティングのプロフェッショナルになること。それが32歳の僕の理想ですね。