BOOKBOX|出版プロデュース



























日本の書籍を中国に広めたい

中国語・日本語・朝鮮語の3ヶ国語を駆使するトリリンガル。
教育関連の出版物を多く手掛けてきた翻訳者兼通訳者。
戦場ジャーナリスト橋田伸介氏の親友でもある廉国善氏に
日本と中国に架ける出版の夢について訊いた。




中国語の他に、韓国語と日本語を操りますね。

日本人が日本語を自然に話せるのと同じく、わたしも中国生まれ育ちの中国人ですから、自然に中国語をネイティブとして使っています。

韓国語は、わたしは中国で生まれた朝鮮族なので、小学校の時から高校までずっと朝鮮語で意思疎通していました。もちろん家庭内でも全部朝鮮語でコミュニケーションをとっているし、テレビも新聞も雑誌も韓国語でできたものに接する機会がダントツ多いです。日本人にはちょっと不思議に思われるかもしれませんが、実はわたしも純粋な中国の漢民族と会話していると、「あんた、中国人ではないでしょうね?」(笑)と言われることがしばしばあります。

うちの母親のようなおばあちゃんたちは買い物などに使うくらいの片言な中国語しかできません。日本語は中、高校の時から必須履修科目として勉強していたし、大学では日本語を専攻していたので、文法理論から読み書きまでプロと言えるでしょう。

こうしてみると本当に習得したと言える言語は日本語しかありません。わたしの脳裏には三ヶ国語がインプットされていますが、その場その場の状況に合わせて言語を使い分けていますけれども、その場合でも特に言葉チェンジスイッチなんてなく、すでにインプットされている三ヶ国語を一つの言語として使っています。

ときには三つの言葉がミックスして出てしまうこともありますので、相手を困惑させることもあります。つまりバイリンガルではなく、トリリンガルと言っていいでしょう。


翻訳者として、どのようなものを訳されてきましたか。

中国の出版社に勤めていたとき主に中高生向けの教科書を作っていましたが、高校生向けの教科書は「人民出版社」(中国の教育出版部門では最大手の出版社)の中国語でできた教科書を朝鮮語に訳して出版していました。

それ以外にも翻訳会社の依頼を受けて特許文など数多くの文章を訳したり、岡山大学院で客員研究員をしていた時、医事法に関する中国の法律全文を訳したりして、論文に掲載したりしました。


メディアコーディネータとしてはどのようなお仕事をされてきましたか。

主に、中国・北朝鮮事情に関する映像番組の制作、事前連絡、企画やコーディネーターなどですね。

たとえば、1996年に日本テレビで全国放送した報道番組では、北朝鮮の国境でドキュメンタリーでしたが、各メディアに先駆けて全国に大きな反響を起しました。
この企画では、わたしは、戦場ジャーナリストとして著名であった橋田伸介さんと、中朝間、約700キロ余りの国境を一週間もかけて取材したのですが、とても、思いで深いエピソードが残っています。

たとえば、遼寧省丹東(タントン)からはボートをチャーターして北朝鮮新義州の沿岸までたどり着き、そこから警備員に近づいていろいろ話を聞いたり、北朝鮮の陸地まで上陸し、完全「不法入国」してみたこともありました。その沿岸に上陸後、煙草を吸いながら、安全ムードに入ったと思ったところで警備員らと北朝鮮の事情を聴いたりして戻りました。また、川沿いでは、北朝鮮の人から骨董品や中国の煙草を物々交換したりしました。買うのが目的ではなくて、彼らと接触するのが目的立ったのですが。

また、中国事情に関する取材では、たとえば、オリンピックを控えていた2008年8月、中国飲料水メーカーの「怡宝」(イーポウ)純浄水に関する取材を手掛けました。こればニュース23(TBS)で放映されました。
現在進行中の企画では、胎児で保健品を作るという番組制作や最近中国で大きな話題になっている地溝油の取材もあります。あるいは脱北者に対する取材も多くありましたね。


取材では、一般には立ち入ることのできないエリアにも随行するのですね。

以前は知り合っていた北朝鮮住民と常に連絡したりしていましたが、5年前に覚せい剤の密売にかかわったとして逮捕されたと聞いてから今まで連絡が途絶えています。なので、今は特定の人物による情報収集というのがありません。

北朝鮮という国は形振り構わずに情報統制している独裁国家だし、江戸時代のように一人が犯罪を起したら、その本人だけではなく、その家族はもちろん、親族や隣り合わせにまで刑罰を及ぼすという縁座のようなことが現在もありますし、情報源として一人を特定しておくのはその本人にも大きな身の危険になるので、なかなか難しいことです。

基本的に北朝鮮に関する取材では正規のルートではまともなニュースに値する映像を得るのは至難の業です。去年も観光名目で中国知り合いの人に頼んで北朝鮮に入りましたが、最初から最後まで監視の目が一歩も離れていなかったので、実情はまったく取材できず、実質「観光」で終わってしまいました。

特に法治国家ではない北朝鮮では、いつどんなことが身の回りで起こるかわからないので、勝手に下手なことをしてかしたら大変な目に遭うかもしれませんので、厳しい環境です。


身の危険を感じたことなどはありませんか。

何度も身の危険を感じました。

たとえば、橋田さんと同行取材でも、完全に仕事モードに突入している中で、ちょっとヤバいなと思われることがたびたびありました。仕事が終わって振り返ってみると、これは単なる「ヤバい」程度ではなく、北朝鮮の警備員に銃撃されてもおかしくないことで、後になってぞっとする恐怖感を味わいます。

銃撃ではなくても、警備員に捕まって政治収容所に入れられて処刑されてもそれまでだと思われる時もありましたね。仕事が終わってからその心境を橋田さんに打ち明けたら、橋田さんも「廉さん、すごいねえ。」といつものような人懐っこい笑顔で言っていましたが、今思い浮かべると本当にぞっとしちゃいます。

だけど、そういった危険地帯での取材はその分、映像としてはインパクトあってリアルですね。いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずということですね。


ジャーナリスト橋田伸介さんとは親友でしたね。

橋田さんとは亡くなるまで9年間の親交があり、仕事の面においてもパートナーだったので、北朝鮮の件についてはなんでも相談を受けました。

彼が、イラクの戦地に赴くときも、いつもと変わらずに電話が来ていて、「あさってからイラクへ行ってくるから、留守になります。」と言っていたのです。

わたしも「バグダッドは危ないから気をつけなさいよ。」と言ったら、「大丈夫よ。今度はモハマド君(イラク戦争で目を負傷したイラクの子供)に会いに行ってくるから。」と言ってイラクへ出向いていきました。

2004年5月27日、彼は、イラクのバグダッド近郊で武装勢力の襲撃を受けて亡くなってしまうのですが、わたしはその悲報を受けた今も信じられない気持ちです。
ちなみに、その日彼に同行していた甥の小川功太郎さんとは日本やタイ、カンボジア、ベトナムで取材同行したりしていました。


ところで、中国では日本語を教えていたとか。
中国での日本語教育事情はどのような状況ですか。

中国での日本語学習者の分布状況についてですが、歴史的事情もありまして、東北三省(黒龍省、吉林省、遼寧省)に集中しています。

それ以外の地区ではほとんど英語を学んでいます。ちなみに東北三省でも英語の学習者が増えてきました。学校によっては日本語の科目がなくなり、同時に日本語の教師も職を失うといった事態がわたしの間近で多くみられています。

日本語の教育ですが、10年前から各学校では英語の科目が日本語の科目に入れ替わる傾向が今も続いており、全体的に日本語の学習者の数はかなり減っています。

ただ、外国語を専門に教える学校や日本では学習塾に似たような学院や養成センターなどができていてその設備も各拠点ごとにLL教室も揃えているし、パワーポイントなど当たり前のように整っているようです。教材もインターネットショッピングにより、amazonのようなサイトから必要な本さえあればいつでも手に入るようになっています。


日本語を教えることは難しいですか。

10年以上も日本語教育の仕事にかかわっていましたが、今まで生徒に日本語を教えることには難しいと思ったことが一度もありませんね。

もっと言えば、教えるということはわたしにとっては打ってつけの天職かもしれません。教壇に立つと、いつも仕事モード全開で自信たっぷりです。自信は実力から出るとみんなに言われているんですが、まさにそのとおりではないでしょうか。


日本語を教えることは楽しいと。

はい、その通りです。
わたしの場合、学習者の対象は中国語をネイティブにする人と朝鮮語をネイティブにする人とで分かれていて、その対象によって教える方法も違っています。

まず、新しい言葉をしっかり教えることを前提に中国語ネイティブの人には文法理論と文型を重点的に教えています。朝鮮族対象の場合、日本語と朝鮮語の語順がだいたい似ているため、理論より文型をたくさん教えることが大事になっています。

そしてその文型にいろいろな言葉を入れ替えながら繰り返し練習し、だんだん言葉その物を長く展開していきながら口も耳も慣れていくようにしています。習ったものをもっとしっかりした自分のものにするには口(発話)、耳(聴覚)、目(視覚)、手(書くこと)を同時進行させています。要は「教えるのでなく、慣れさせる」のです。

大抵の場合、学習者は外国語を勉強するときは異言語に対する好奇心、あと一年ぐらいたつと外国人と交流できるという期待感、その一方でいつになったら先生のように外国語を自由自在に操れるかという気の遠くなるような脱落感も抱えている。

こういった複雑な心理を持つ学習者に言葉を一つ一つ教え、また短いけれどもいつの間にかその場に合った会話ができるようになったときの喜びを随時感じることができますが、その時こそが日本語を教えることの楽しさと達成感ではないでしょうか。

とくに大人の人は短いであろうが長いであろうが、外国語で正しく表現できた時は必ず顔に喜びの表情が浮かんできますが、その表情は教える人にとってはたまらなく嬉しいです。その嬉しさのために、またいかに楽しく教えるかを工夫に工夫を凝らしていくのです。


「日本語」に関連する辞書や教材を出版されていましたね。

中国では、教育出版社に編集員として勤めていたので、書籍の出版権を持っていたわけです。

教材の出版においては日本のように一つの科目にいくつかの教材があって各学校で自分たちの実情に合わせて選定するのではなくて、基本的に全国では北京に本社のある人民教育出版社の教科書を使用することになっています。

5、6年前から「一鋼多本」(一つのカリキュラムに基づいてできた何種類もの教科書)が認められていますが、今のところ大学入試自体が全国統一試験問題という前提なので、各地方、各省ごとに独自の教科書を使用することは進んでいません。

ちなみに、わりと教育の進んでいる上海、北京、山東、安徽などは独自の大学入試の問題を出題しているので、その際もちろんその地区の教科書を参考にしているらしいです。

また、わたしの所属の吉林省ではまだ独自の教科書を編纂していないので、人民教育出版社の教科書を翻訳したりして使っていました。ですから、教科書の場合翻訳がメインなので、作業としてはそんなに難しいことではありません。

ただし、中学校以下の教科書については必ず国家教育委員会で規定したカリキュラムに基づいて企画から執筆、編集までしなければなりません。企画書が出来上がると、それにしたがって執筆段階に入り、編集終了したら会社に印刷以来すれば担当者としては仕事終了。

出版部数については学校向けの本なので、学生数に合わせて印刷すれば売れ行きなど心配なし。社会主義制度下ならではのビジネスモデルと言っていいでしょう。

教科書以外のものとしてはテープや練習問題、試験問題集、辞書など教科書にかかわる副教材はいろんな学校へ行って教育第一線としてどんな資料が必要なのかと聞き取り調査したりして、それに照準を合わせて執筆、編集、製本、出版していたのです。


中国では検閲もあって教科書の場合は特に厳しい統制がありますね。

確かにそのとおりです。小説のような単行本とは違って教科書というのはセット化、シリーズ化していなければなりません。

具体的に言えば国家で制定されたカリキュラム内容の枠内で学年別に作らなければならないし、しかもその教材とセットで教師用指導マニュアルや視聴覚教材といった副教材も備えならないので、そう簡単には作れません。

ですから、一つの科目がフルセットで完成出版できるまでには4~5年はかかってしまいます。

また、日本のように一つの科目に複数の教材が開発され、ユーザーに選んでもらうのではなく、中国の場合、高校レベルからは人民教育出版社の教材を選定して使用するようになっています。

というわけで教科書というのは短時間のうちにころころ刷新するのではなく、いったん出版されると10年くらいは当たり前のように使用されています。

このほかにも外国語というのは政治内容とは関わらないので、政府による検閲はないですが、外国語そのものを専門家に見てもらうこともあります。


中国の出版事情や流通について、教えてください。

中国での出版は非合法を除き、すべて許認可制で、国家、地方自治体の管理下に置かれています。なので、出版制約は今も今後も継続されると思いますが、その制約の中で中国の出版人は多様な出版物を生み出しています。

海外著作物も増え、中央だけではなく、地方でも多くの出版社が誕生し、年間10万点余りの新刊が発行されています。人口から言えば100万点が発行されてもおかしくない国なのですが・・・。

本が出版されても出版社、書店、流通にチェック機関があり、日本やヨーロッパのような出版流通は難しいのが現在の社会体制下での出版状況です。

しかし、開発経済下でその規制範囲は緩くなり、今はバリエーションに富んだ出版物が続々と出現しています。中国は92年に万国著作権条約に加盟したため、歴史は浅いが従来の書籍販売から著作権ビジネスが活発になりつつあります。

実際先月の下旬に北京の一番有名な商店街-王府井にある書店に家の子供と足を運んだことがありますが、本も多かったけれども、お客も多かったです。

ちなみに地方の書店に入ってみると、風景が一変してお客さんより店員のほうが多いような感じで、中国の書店は閑古鳥が鳴いているんだなと感じられます。

た本の値段も高く、買うのにすぐ手が出られず、ためらってしまうこともよくあります。本の値段が高いということはその国の教育が遅れているという証拠だと言われていますが・・・(笑)。


日本の書籍を中国で翻訳出版する場合、どうすればよろしいでしょうか。

中国の出版社では出版内容によっておおむね分類されていますが、市場経済とともに競争原理に基づいて経済活動が行われているので、外国文であろうが、中国文であろうが、言語に拘らず出版部数さえ確保できれば教科書以外ならどんな本でも出版できるようになっています。

また各出版社にはそれぞれ専門分野の担当編集がいるので、内容さえ合法であれば実際のところ問題になることはありません。出版の流れとしては変わりはないですが、印税のこともあって著者との折衝が必要となってきます。


どのような本を出版されましたか。

たとえば、徳山大学の粟屋教授の著書である『人体ビジネス』があります。
2000年でしたが、中国の出版社に、書籍と本の概要をまとめた資料といっしょに送付し、翻訳出版するように手掛けました。

出版の話は進んでいったのですが、当時も現在も中国でもっとも敏感な問題の一つであった中国臓器売買の実態調査に関する内容が掲載されていた影響で、中国では出版不許可となってしまい、その後、台湾で翻訳出版されることになったものです。


中国では、どのような日本の本が売れると思いますか。

何といっても小説ですね。国の体制の違いもあって日本のように言論出版が自由なわけでもないし、そういった意味では何の差し支えのない小説が一番売れていると思います。

特に最近ではベストセラーを続出している村上ブームの影響もあって、日本の小説が中国人には受けられているようです。平易で親しみやすい文章で心に訴えかけている村上流の小説は多くの読者をひきつけているらしいです。


ご自身でも、書かれていますね。

中国にいた時は出版社で日本語の編集を担当していましたので、日本語の教科書や関連の副教材、視聴覚メディア資料等、数多く編集、執筆していました。来日後ももっと多くの日本の国民に中国の様相を知ってもらうために、自分の経験談に基づいて既に「素直な中国」という原稿を書います。

いくつかの出版社と接触がありましたが、同じ意見として内容範囲が広すぎて、その内容を一つか二つに絞って一冊の本として一貫した色を出さないと読者を絞り出すのは難しいとのことでした。こうするには原稿すべてを書き直さなければならないので、いったん保留にしています。


日中間で出版プロデュースすることの醍醐味について教えてください。

まず日中両国にわたって互いの文化や知識を紹介できることに大きな意義のあることだと思います。東アジア文化圏に生活している人どうしで本による文化や知識の共有、相互理解を深めることができるならこれ以上嬉しいことはないでしょう。地球全体が一つの村と言われている時代に憎らしい国境線によって別々生活しなければならなかったり、言葉の壁があるゆえに先進文明を共有できないこと自体が人類の不幸ではないでしょうか。
また日本も中国も出版業界はまさに低迷している時代に素晴らしい体裁の本が見つかるかないかが死活問題にかかわっています。一冊でも出版社に外国版のいい本をプロデュースできれば双方にとって百利あって一害なしの有益なことだと思います。