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電子出版事情

最終回 

これまで4回にわたって最新状況を伝えてきた。
しかし、どんなに技術が高度化したところで変わらないものがある。それはコンテンツ。要するに、読む者を惹き込み、離さないためにはツールじゃない、中身次第だ。それは技術が進化しても変わらない。
ということで、今回は、創作風にこのシリーズを終えてみます。


「2030年、エミリの1日」


エミリは目をさました。最初に目にはいったのは天井の白い壁紙だった。真っ白な壁紙におおわれた彼女の部屋。大きな窓からはまぶしい朝日が部屋いっぱいに射しこんでいた。

「今日もやっぱり晴れなのね」

そうつぶやいてエミリはベッドから起きあがり、窓のまえに立った。窓からは杉並区の町が見わたせる。かつては小さな住宅がひしめきあっていたこのあたりも、現在では数本の超高層住宅がまるで鉛筆のように地面から生えているばかりだ。国道20号線は、大きな川の流れのように、電気自動車が静かに走っている。青空におおきく輝く夏の太陽を、にくにくしい目で見ながら、エミリはまた一言。

「登校日なのにイヤなの」

エミリは浮かない表情のまま、自分の部屋をでてリビングにむかった。リビングもまた白い壁におおわれ、朝のまぶしい光に満ちていた。壁にかけられたペーパーテレビには、天気予報をつたえる笑顔の女性キャスターが3D映像でうかびあがっている。エミリーの「ファックオフ」という小さな声に反応して女性キャスターは音もなくきえた。

「あらエミリおはよう」

突然ベランダの窓がひらき、エミリの母親が顔をだした。エミリはそれにこたえず、キッチンに置いてあるビンから3、4粒のサプリメントカプセルをとりだし、それを牛乳でごくりとながしこんだ。朝、食欲のでない彼女はいつもこれですましている。

「お天気がいいからお布団を干したのよ。あなたも自分で干しておきなさい」

エミリはこれにもこたえず、自分の部屋からもってきたテキスト端末をソファーにもたれながらいじっている。今朝の新聞をダウンロードして目をとおす。テキスト端末は、ちょうど彼女の手のひら2つ分くらいの大きさで、ガラス製の画面をタッチするだけで世界中の新聞に目をとおすことができる。

昨年発足した世界政府の新政権の支持率低下がとまらないという記事。日本国条例で公共施設での飲酒を全面禁止することが決定したという記事。サッカーの世界チャンピオンチームに人型ロボットのチームが勝利したという記事。などなど、ニュースは掃いて捨てるほどあるが、彼女の興味をひく記事はどこにも見あたらなかった。

いつまでも動こうとしないエミリを見かねた母親は、自分でエミリの部屋から布団をはこびだしベランダに干してしまった。

「さあ、お母さんはもう会社にいくからね、あなたもいつまでもそんなところにいないで自分の部屋で授業をうけなさい。トシはもうとっくに学校に行ったわよ」

そういって母親はリビングからでていった。やがてウインという扉の閉まる音がすると、家のなかにはたちまち静寂がおとずれた。エミリは気だるそうな顔をして自分の部屋にもどる。

机のまえにすわって、モニター端末の電源をいれると、モニターに中年男性のアニメーションキャラクターがうかびあがり数学の講義をはじめた。どうやら多面体の体積をもとめる問題をやっているらしい。中年キャラクターが話す内容にあわせてグラフィカルな立体図形がぐるぐる回転しながら解説をくわえる。

モニターのすみにメッセージが表示された。
「おはようエミリ。午後から学校だるいね。-ミカ」
エミリはキーボードをタイプする。
「ほんと。そとはバカみたいにあつそう」

モニターの前にすわったものの、エミリはちっとも授業に集中できない。エミリは今年の春、高校に進学したばかりだった。中学生までは毎日学校へかよっていたが、高校生になってからは週に2、3度、音楽や体育の授業のために学校へいくだけ。そのほかは自宅でモニター端末をつかって遠隔授業をうける。

キャラクターの授業だからといって気はぬけない。居眠りをしていると、突然、小テストがはじまったり、キャラクターに質問されたりするのでうかうかしていられない。

だけど今日のエミリはどうしても授業に集中できない。なんだかここのところずっとこんな感じだ。

エミリは口うるさい母親のことを疎ましくおもっていた。早く起きなさい。早く勉強しなさい。早くやりなさい。ああしなさいこうしなさい。自分の仕事がいそがしいときなんか、突然ヒステリーになるのが嫌だった。女のみにくいところ、だと思う。

エミリの母は、ほかの家の母親のように、ちゃんと自分の仕事をもっている。インテリアコーディネイターとして働いて、しっかり稼いでいる。そして子供たちを育て、家庭をまもっている。

エミリには弟がひとりいる。小学校5年生のトシは、毎日だれかと競争するように学校へ出かけてゆく。エミリは、そんなトシをうらやましく思っていた。学校から帰ってもホームワークをやらず、テキスト端末でマンガばかり読んでいる弟をみて、にくたらしいって思っちゃう。

父親は一緒にくらしていない。2年前に父はこの家をでた。エミリはそれっきり一度も父親に会っていない。しかしこういう家庭は、このご時世けっしてめずらしくない。エミリのクラスメイトのミカやケリイやアリスの家にも父親はいない。女性がつよくなり、そして男性はすこし元気がなくなった。

エミリの父は自動車メーカーの工場ではたらいていた。しかし数年前から工場では、人間がやっていた仕事のほとんどすべてが機械化され、作業員の数が減らされていた。自動車の販売台数も年々下降の一途をたどっている。エミリの父親も3年前、ついにリストラされてしまった。それがきっかけで、もともとおかしかった母親との関係が悪化して、父は家をでてゆくことになった。

「あんな時代おくれの業界にいつまでもぶら下がっているからそんなことになるのよ」

母親は父をそう言ってののしった。エコロジーという思想に頭までつかっている母親は、自動車という乗り物をおろかな時代の象徴として忌み嫌っていた。彼女は会社まで40分かけて自転車で通っている。

エコという言葉が流行した20年ほど前から、人々はできるだけ外出をひかえるようになった。無駄な移動をしないことが、とにかくスマートで、そしてクールだと信じられてきた。なので人は家のなかですごす時間が増え、その結果、母親が働くインテリア業界なんかはとても景気がいいようだ。母親は自分の稼ぎでしっかり子供を養い、やくたたずの夫を家からおいだした。このご時世には、よくある話だ。

エミリや弟のトシは、父親がでていったとき悲しまなかった。ただ仕方がないと思った。母親が決めたことだ。

エミリは机に頬杖をついて父親のことを思いだそうとした。父親はガソリン自動車と紙の本がすきな人だった。(どちらも母親のきらう時代おくれの趣味だ)たった一度だけ父親はエミリをさそって、自動車でどこかの湖までドライブにでかけたことがあった。エミリは車内での会話をなにもおぼえていない。ただ湖のほとりにあった人気のないゲームセンターで、何十年も昔の古ぼけたホッケーゲームをやったことだけが記憶の片隅にある。父親はエミリに気をつかって、わざと手をぬいた。

エミリは机の引き出しのいちばん奥から一冊の紙の本をとりだした。テキスト端末よりもすこし小さいサイズの、いわゆる文庫本という種類の本らしい。表紙は茶色く日焼けしていて、ほのかにカビくさいにおいがする。ページをぺらぺらめくってみると、ものめずらしい手触りと感覚がした。

いまでは、このような紙の本を目にすることはほとんどない。紙の本なんて不経済の極みだといわれ、テキスト端末の普及とともに、どんどん姿を消していった。現在では一部のコレクターが蒐集したりするだけで、ほとんどの人々には実用性のない骨董品だと思われている。

この本はエミリの父親がもっていたもので、父親が家をでていくときにダンボールにつめこまれていた本のなかから、エミリが一冊だけぬきとって、こっそりかくしもっていたのだ。背表紙には「風の歌を聴け」とかいてある。

「ムラカミハルキってだれよ」

エミリはぺらぺらとページをめくりながら、紙のうえにインクでつづられた文字をひろい読みする。そこには現在とはまったく異なる世界がひろがっていた。飲酒運転をする主人公の青年に、部屋でレコードを聞きながら食事する若者たち。

「この男、話しかたがキザったらしいけど昔の男はみんなこうだったのかしら」

しばらく小説の世界にひたっていると、いつのまにかモニター端末の授業はおわっていた。時刻は12時半。

「やばいやばい」

エミリはいそいで着替えをすませた。かばんのなかにテキスト端末と昼食用のチューブをつめこんで、ばたばたいわせて玄関をでた。

エレベーターで325階から地上まで15秒でおりる。マンションのしたにはもうスクールバスが到着していた。こんにちは、と運転手に声をかけ車内に乗りこむ。

「エミリこっちこっち」

一番うしろのシートからクラスメイトのミカがエミリを呼んだ。エミリはミカのとなりの席に腰をおろした。ミカはテキスト端末でファッションマガジンを見ているようだ。

「こんどワンピース買いたいんだけどさ。どっちがいいかな。これとこれ」

ミカはテキスト端末の画面上で、モデルに赤と白のワンピースを着せかえながら、うんうんなやんでいる。エミリはかばんの中からバナナ味のチューブをとりだし、それを吸いこみながらミカの相談にのってやった。

学校へは20分ほどでついた。高校は中学までとちがって、モニター端末をつかった遠隔授業が中心なので、学校の校舎は小さい。教室はぜんぶで3つしかない。図書館もない。生徒たちは授業に必要な資料や書籍を、テキスト端末からライブラリーサーバーにアクセスしてダウンロードする。教室のほかには体育館と音楽室がある。

生徒たちは着替えをすませて体育館にあつまった。広い体育館にもしっかり冷房がはいっている。外では灼熱のなかをセキセインコの群れが飛びまわっている。生徒たちは体育館のなかを15分間せっせと走り、その後、男女にわかれてバレーボールをぴったり45分間やった。

体育の授業が終わると音楽室に移動する。音楽室の壁にはベートーベンやモーツアルトの肖像画が飾られていて、エミリはそれが不気味でいやだった。生徒たちはテキスト端末の楽譜をみて「世界に一つだけの花」を合唱した。来月、全国高校生合唱コンクールがあるので、その練習だ。合唱コンは全国にインターネット配信され、それを見たすべての人の投票によって勝敗がきまる。優勝校には賞金300万円がおくられるので、みんな真剣だ。

音楽の授業がおわると生徒たちはふたたびスクールバスに乗って帰宅する。クラブ活動をやっている生徒はのこるが、エミリはどのクラブにも参加していないのでミカたちと一緒にバスに乗りこむ。バスのなかでケリイはアリスにテキスト端末をみせて数学の問題をおしえてもらっていた。数学が得意なアリスは図形問題の解き方をていねいに説明している。モニター端末の中年キャラクターよりもよっぽどわかりやすいとエミリは思う。

ミカはようやく白のワンピースを買うことにきめたらしい。テキスト端末の購入ボタンを、えいっと勢いよくおした。バスは人気のない綺麗な並木道を走り、やがてエミリのマンションのしたに到着した。エミリはみんなと今度の日曜日にプールにいく約束をしてバスをおりた。

家に帰ると母親が今朝干しておいた布団をとりこんでいた。

「あら、おかえり」
「ただいま」

19時になると夕食のデリバリーがきた。母親は仕事があるので、夕食は毎日決まった時間に配達してもらうことになっている。「このほうがムダがでなくてエコでしょ」と母親は言っている。食べたい料理をテキスト端末のメニューから注文する。今日は中華にした。エミリとトシと母親は、3人そろってテーブルをかこみ黙って食事をした。トシがサッカーの3D放送を見たがったが、母親は「グラウンドのまんなかで食事しているみたいだから」といって許さなかった。

風呂からあがると、エミリは自分の部屋のベッドのうえに寝ころび、おもむろに「風の歌を聴け」の文庫本をめくった。こんなにたくさんの紙に文字がびっしり。テキスト端末と同じくらいの大きさのくせに、たった1冊分の内容しかないなんて。なんだか手にしている文庫本が、あほらしいような、尊いような、複雑な気持ちになる。

エミリは文庫本を枕もとにおいて布団に顔をうずめた。干したばかりの布団には、たっぷりと太陽のにおいがした。


小林聡(こばやし・さとし)
フリーランスのWebプロデューサー兼ライター。ファブズラボ代表。
東京都杉並区阿佐ヶ谷を中心に活動する。中小企業や個人のサイト制作や運営を軸に、インターネットユーザーに価値あるコンテンツを提供するべく、健全なWeb活動にこだわって仕事をしている。趣味は読書と自転車。好きな作家は夏目漱石、愛車はサーリー。

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