BOOKBOX ライティングの未来形




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翻訳とライティングの可能性

商品価値としての翻訳や通訳は単なる語学レベルでは通用しない。そこには表現され、伝達されなければならないものが必ず存在するからだ。
その点はライティング力も同じだが、翻訳や通訳には、「表現行為」に対するある種の透視力が要る。つまり、「表現者」への敬意が前提だ。
だから翻訳通訳者と表現者を行ったり来たりする「トランスライター」は自省的でもある。その多くは自身のライフスタイルをもち、均衡を保ちつつ、無理をせず、独自のワークライフを作りだしてきている。そして、そんなグッドバランサーは女性に多い。




海上エッセイストが陸上をめざすとき

1991年、女性として初めて一級海技士の国家試験に合格、
海外諸国をめぐる旅を綴ったエッセイ『私のオフィスは照洋丸』を発行、
その後、拠点を海上から陸上へ移し、翻訳者としても活躍。



■通訳者として

女性の航海士としては日本初とのことでしたね

「女性航海士」という呼び方は三省堂が『私のオフィスは照洋丸』本を売るためのキャッチフレーズとして使いましたが、職名はただの「航海士」です。

航海士のお仕事とはどのようなものですか

日本船舶が外国の港に入るとき、多くの場合現地のパイロット(水先案内人)が乗船し、船長に代わって操船および着岸作業指揮に従事します。

三等航海士はパイロットを出迎えるとすぐに操船上必要な情報(船の大きさ・速力・プロベラ・エンジン・舵効きおよびその他の機器の性能等)を伝えます。着岸作業のために船首、船尾に配置している担当者に対しては、パイロットからの英語のオーダーを日本語に直して(あるいはそのまま)連絡します。

港の入口から岸壁まで時間がかかるときには雑談に応じるのも仕事の一つです。好奇心の強い人なら本船がどこでどんな調査するのか質問してきますし、自分が日本へ行った経験談を話したがる人もいます。発展途上国ではお土産を要求されることもあり、それぞれに拙い英語で対応してきました。


水産庁には取締船、調査船、練習船などがあるようですね

どの種類の船に乗っても基本的に航海士の役割は船を安全に運航することです。簡単にいえば運転手ですが車のように一人ですべてこなすわけではありません。

時と場合にもよりますが、直接舵を取ることはほとんどなく、目的地に向けどのようなスピードでどの方向に船を進めるかを考え、さらに到着時間や天候、海流等、船舶の航行に影響を及ぼすさまざまな要素を考慮しつつ、担当者に進路や速力のオーダーを出すのが航海士の仕事の重要な部分を占めています。

もちろん付近の航行船舶と衝突することのないよう気を配り、危険が予想されれば海上交通の法律にのっとって他の船舶を避けるなどの衝突予防措置を講じます。


船上で通訳や翻訳はどのように機能しているのでしょう

水産庁の船舶は、目的地まで積み荷を運ぶことを主目的とす一般の商船とは航行形態を異にします。

取締船は、漁船の操業海域へ出向き、許可を得た漁船が法律に規定された漁期・漁法・魚種などを守っているか目をひからせます。取締船の士官は警察権を持っており、違反者は検挙されることになります。「検挙から送致まで」これも航海士の職務の一つです。これは一つ間違えば大変な人権問題になりますから、公海の漁場や、東シナ海のように数カ国が入り乱れて操業する海域では取締の目的に応じてプロの通訳者が臨時で乗船することがあります。

また、調査船は、主に水産庁所属の研究所(現在は独立行政法人です)が立案した調査を行います。海流の流向・流速を測る場合など船を走らせるだけの調査もありますが、マグロはえ縄やイカの刺し網など実際に操業することもあり、航海士は4時間ブリッジでの航海当直業務を終えたあとにそれらの作業に参加します。

たとえば、メキシコ湾や地中海でクロマグロの稚魚や卵を採集する稚魚ネットの曳航調査をした時は、それぞれアメリカ・イタリアとの共同調査でした。調査の開始と終了を合わせるため、無線でやり取りしながら進めました。

さらに、練習船は発展途上国の漁業調査に協力するなどの国際貢献も行っていますが、本来は調査・操業を通して学生を教育・訓練するのが重要な仕事です。

その中で航海士は、航海士を目指す学生に、航海学・運用学・法律などを教える教官としての役目も担っています。英語を直接教えることはありませんでしたが、航海日誌の記載(国際航海に従事する船舶のため記載はすべて英語)に関する授業を受け持っていました。


航海士として20ヶ国を訪問されていますね。印象深い国は

一番好きな寄港地は「トンガ王国のヌクアロファ」です。練習船の次席三等航海士だったときの話ですから20年近く前で、周辺海域調査のために入港しました。

島国トンガの近海には良い漁場となるはずの海台が数多く存在するにもかかわらず、位置・水深・形状があいまいなため有効利用されていませんでした。そこで母校の練習船が海台調査を買って出たわけです。

港長とパイロットが兼任するほど小さな港でしたが、岸壁の水面下はサンゴで覆われ、伊勢エビやミノカサゴ、ウツボなど色とりどりの生物が見え隠れしていました。船長の許可が下り、自分の乗船する船から水着を着て飛び込んだのは13年の船乗り生活でもこの港だけです。水族館のような海の美しさは忘れられません。


船上でも数々の出会いもありましたね

インド洋で漁業調査を行ったとき、オーストラリアの研究機関から乗船してきたのは、ナオミという名前のオーストラリア人女性でした。彼女はミナミマグロの専門家で、照洋丸では引き縄で生け捕りにしたマグロ(若年魚)にタグをつけて放流する調査を行っていました。

私たちは年が近く、またお互いにパートナーと離れ離れの生活を強いられる境遇にあったために親しみを感じ仲良くなりました。航海が終わってからもメールや手紙で交流を続けていましたが、私が出産を機に退職し、留学を考え始めたときに相談に乗ってもらったのがナオミです。

彼女の住まいと研究所はタスマニアにあり、紹介されたタスマニア大学に保育園が併設されているのを知って、すぐに渡航する決心がつきました。もちろんナオミが近くにいるのが心強かったからでもあります。

今思えば彼女とは一航海(1か月くらい)しかいっしょに過ごしていないし、その後は会ってもいなかったのです。「海上の閉鎖性」という特殊な環境が引き起こすのでしょうか、 船で寝食を共にすると長く付き合っているような気になってしまいます。

船ではこうした不思議な錯覚を覚えることが少なくありません。
船に乗っているのは自分以外みんな他人なので、人間同士好き嫌いもあるし文句も出るものですが、何日も同じ鉄の箱の中にいて同じ空気を吸っているうちに欠点さえも「しょうがいないなあ」と受け入れてしまう家族のような雰囲気ができてきます。


船上でのコミュニケーションは独特ですね

照洋丸では、もう一人大切な出会いがありました。アメリカ人のマイケルです。彼は海鳥やイルカ・クジラといった海上で見られる生物の目視観測を専門としており、決まった時間にブリッジにたち、生物を見つけるとその位置と時間と生息数を記録していました。

ただ、彼は何度も日本船に乗船して調査をしていましたので、生物や海洋に関してはかなりの日本語を知っていましたが、日常会話ができるほどではありませんでした。
けれど、彼が友人として信頼したのは英語が堪能な士官ではなくて、夜にお酒を飲みながら片言の英語と身振り手振りで語りかけてくれる部員たちでした。

彼は、人とのコミュニケーションについて彼は「英語力ではなく、ハートの問題だ」と断言していました。「ハートの問題」の解釈については難しいところですが、相手の話をちゃんと聞き、自分の言いたいことをわかってもらおうという姿勢だと理解しています。

マイケルはその後わが家で最初の外国人ゲストになり、2回目の滞在はガールフレンドを連れて、そして3回目を計画中の8年前、メキシコ湾でクジラの目視観測中に搭乗していたセスナが墜落し帰らぬ人となってしまいました。


■ライターとして

はじめてのライターのお仕事はどのようなものでしたか

20年近く前、船舶管理室という部署で陸上勤務をしていた時期が約1年ありました。
その時たまたま労働組合の役員が隣の席にいて「船に関することで何か面白い話を組合の広報誌に書いてほしい」と依頼がありました。確か原稿用紙1枚程度だったと思いますが、それが最初といえるかもしれません。

その後も「評判がいいから次もお願い」とおだてられ、船ネタはいくらでもありますから求めに応じて書き続けていました。乗船勤務に戻った一年後にマグロ調査のための世界一周航海が計画されていたのですが、準備の段階で船長にから次のようなオーダーがありました。

「世界周航は一生水産庁に在籍していてもめぐりくるとは限らない貴重な経験である。記念に調査や航行に関する公式の航海報告書とは別の、生活の記録を残したい」
具体的な指示はありませんでした。

それまでで一番あいまいかつ難しい船長命令ではありましたが(笑)、南極観測船宗谷の「南極新聞」を参考にしながら、およそ週一回のペースで半年間B4版の船内新聞を発行しました。

照洋丸新聞と並行して三省堂から依頼されていた原稿の執筆も行っていましたので、この世界一周は大変忙しい航海でしたが、駆け出しライターとしては密度の濃い半年だったと思っています。


1995年に『わたしのオフィスは照洋丸』を出版されました

先にお話しした労働組合の広報誌がきっかけです。
女性組合員のひとりがフリーの編集者である友人に組合誌を見せたところ気に入ってくださり、それが御縁で三省堂の、主に女性問題を担当している部署から正式に出版のお話をいただきました。

最初のころ編集者からは「言葉の意味がわからない」旨の指摘が何度かありました。「船と関わりのない人たちにも、船の生活・調査船の仕事・海の素晴らしさを知ってもらう」のを目的に書き始めたエッセイですから、わかりやすい表現を心がけていたつもりでいましたが、私のフィルターの目は大きすぎたようでした。

たとえば「船は潮岬の灯台をかわった」の「かわる」という言い回しは船乗りがごく普通に使用するもので「航行中の船が針路に向かって(左あるいは右)90度方向に灯台を見て通過した」ことを意味します。夫も、友人の多くも船に関係していたので航海用語などの専門用語は気にかけても、いわゆるjargonには鈍感になっていたのでしょう。特に航海に関する表現にはフィルターの目を小さくするように気をつけました。

しかしまた一方ではあまり潮気の抜けた文章になると、24時間動き続ける船の臨場感や大自然としての海の様子が感じられません。どう折り合いをつけるか難しいところでした。

出版後には新聞・雑誌の取材があったり、学校の推薦図書になったり、また講演を頼まれたりといろいろありましたが、予想外だったのは乗組員の家族からの反響でした。
「お父さんがどんな仕事をしているかよくわかった」というのです。長年いっしょにいる家族でも船の仕事はなかなか伝わらない。複数の乗組員から「家族に理解してもらえた。ありがとう」と言われて私もうれしくなりました。


『照洋丸新聞』が佳作となりました

谷恒生という船乗りあがりの小説家がいました。晩年は架空戦記や歴史小説を執筆されていましたが、元航海士の経験を生かして、船乗りを主人公にしたミステリー小説を多く発表し直木賞の候補にもなった方で、船乗りや航海士の中には「谷恒生を知らない奴はモグリだ」などと言う人もいるくらいです。

外航船(外国に寄港する船)の航海士を主人公にした作品は、女性の目から見るとかなり過激な内容ですが、私も船乗りのはしくれとしてほとんどすべてを読んでいましたので、「私のオフィスは照洋丸」を出版後、「航海士&物書きつながり」でファンレターを書いてもいいような気になり、著書と船内で発行した照洋丸新聞のコピーを同封して送ったところ、思いがけなく谷恒生氏本人から返事をいただきました。
その内容は、「船乗り時代を思い出して懐かしかった。海洋文学大賞っていうのがあるから出してみたら」というようなものだったと思います。

締め切りまで2カ月くらいしかありませんでしたが、すでにあるものを推敲して原稿用紙50枚に収めるならできるかもしれない。そんな経緯で応募したのが「照洋丸新聞」(1999年)です。

授賞式の当日、私は切迫流産で入院していたため夫が代わりに出席してくれました。そこで審査員だった先生とお話したそうです。私もいつかはお会いできる日が来るだろうと思っていましたが、大変残念なことに2003年に57歳の若さでお亡くなりになりました。


2002年には「海上の友」にエッセーを連載しています

これは船員および船員家族向けの旬刊誌です。
海洋文学大賞を主催していた海事広報協会が発行元ですが、私にお話しが来た詳しい経緯はわかりません。元女性航海士ではなく、留守家庭を守る船員の妻「せんつま」として、日常についてのエッセイを依頼されました。

初めは「船を離れたらネタがなくて書けないかも・・・」と思っていましたが、留守家庭、子育て、ご近所づきあい・・・船乗りあがりの奥さんにも結構いろいろあるものです。
まだ赤ちゃんだった息子の育児にストレスを感じていた新米ママには日々の生活を客観的に振り替えるいい機会でした。


現在はどのような記事を手掛けていますか

現在はライターというより、地元で国際交流協会の広報(ボランティアです)として年に数回短い記事を書いているにすぎません。

協会での行事などがあればそれについて書きますが、特別な出来事がない場合には、地域住民が国際交流について興味を持つような内容を探して記事にしています。

たとえば我が町はニュージーランドのワンガヌイ市と姉妹都市関係にあり20年以上も交流が続いているにもかかわらず、民間レベルでの交流が少ないのが現状です。
そこで現地の交流センターを格安宿泊施設として利用する「NZ北島観光モデルプラン」を作成し最新号で紹介しました。


ライティングではどのような点を心掛けていますか

実践できているかどうかは別ですが、読み手にとってわかりやすい文章を心がけています。また読む気をそぐような言い回しにならないようにも気をつけています。

私にとっての教本は本多勝一氏の「日本語の作文技術」で、「私のオフィスは照洋丸」の執筆中に何度も読み返しました。その中で印象深いのが「落語家が自分で笑っては観客は笑わない」の一文です。素人が作文に慣れてくるとだんだん紋切り型を使いたくなるものですが、それを良い文章だと勘違いしていたことに気づかされました。

また、船の生活や調査について一般の方々には想像のつかない話を書く場合には、ついついくどい文章になりがちです。このようなときは「説明されているという印象を与えない」ように注意を払い、また一度も乗船体験のない読み手にもイメージできるわかりやすい表現を探します。


どのような点が面白いですか

ライティングのお仕事には必ず字数の制約があるわけですが、私には一度でぴったり仕上げる能力はなく、多めに書いて後から切り貼りするタイプです。推敲の場面ではすでに8割がたできあがっていますから生みの苦しみみたいなものはありません。単語の位置を入れ替えたり「てにをは」や語尾を考えなおしたりと、言葉のパズルを解きながら規定の字数に近づけていくのが楽しいです。

照洋丸で船内新聞を編集していたとき、普段文章を書かない人たちに字数を決めて原稿を依頼するのはむずかしかったので、テーマだけを伝えて自由に書いていただきました。そうなると推敲以前の問題で、切り貼りどころかむりやり2倍にふくらませある、あるいは反対に字数を半減しなければならないこともありました。本人の文体や主張したいところを尊重しつつ編集するのは大変でしたが、B4縦の新聞にぴったりおさまって出来上がったときにはいい気分になれたものです。


今後、どのような記事を書いてみたいですか

今まで本格的に取材をして文章を書いたことはありません。何かのテーマについてインターネットで調べるだけでなく現場へ出かけて行き、人から話を聞き、ひとつのものを作り上げてみたいですね。

海・船・魚にこだわりはありますが、陸(おか)の人間になって10年以過ぎたので固執はしていません。かつては一本杉みたいでしたが、今は主婦としても母親としてもいろいろな分野に興味の枝葉をのばしているつもりです。


■翻訳者として

フリーランスの翻訳者として何年になりますか
取り扱いの言語、分野について、教えてください

足掛け2年くらいです。会社に所属していたことはありません。

母国語は日本語です。主に英日翻訳ですが、分野によっては日英も請け負います。
専門は水産、海洋、船舶など海に関する分野です。


航海士の職務としての翻訳とはどのようなものでしょう

航海士時代に職務の一環として、航行する海域や寄港地についての資料の翻訳を命じられることがありました。たとえば、「Sailing Directions(水路誌)」、「Guide to Port Entry(港湾事情)」などです。

我が国では海上保安庁がそれらの資料(日本語)を発行していますが、日本船舶の航行および寄港の多い海域に限られており、それ以外ではアメリカやイギリスなど海外の海事関係機関によって作成された英語の資料を利用しているのが現状です。
そこで、これらの資料を翻訳しなければならなくなります。


はじめての翻訳は

水産生物や海流など自然を相手にした調査の都合上、日本船があまり航行しないに水域に行くことが多かったために、「照洋丸」では必要な仕事でした。
これが初めての翻訳だったかもしれません。
本格的に英語を勉強する前でしたから、出港前に貴重な時間をとられ苦労したことを覚えています。


航海士になるには英語は必須なようですね

航海士の資格を取得するための課程は5年制です。本科修了後、実習と航海実務の勉強に専念する専攻科のときに国家試験を受験しました。4科目のうちの一つが英語で船舶の航行に関する英文読解が2問出題されます。翻訳どころか英語を訳したのは試験勉強のためだけでしたね。


タスマニア大学付属英語学校を修了していますね

タスマニアでは一年間学校に通ったのですが、規定の授業のほか、ポエム、映画、新聞、スポーツなどの選択授業がありました。

私は担任に「その時間を利用して著書を英訳する時間に使いたい」と申し出て許可をもらったのですが、放課後も頑張らないと週数回の授業時間だけでは完成できないとわかり、当時2歳の子の世話もあったのであきらめました。


なぜ翻訳者になろうとしたのですか

やはり航海士時代の話になるのですが、出港準備に忙しいときなど、「Sailing Directions(水路誌)」や「Guide to Port Entry(港湾事情)」などの英文資料を翻訳すると時間を取られることになってしまい、「どの海域にも日本語版の水路誌があればいいのに・・・」といつも思っていました。

ですから、タスマニア大学の英語学校で勉強したあと、英語と航海士の経験を両方活かせる海事資料の翻訳で、現役船乗りの役に立ちたいと考えたわけですね。


翻訳の品質を向上させるためにどのような工夫をされていますか

船舶の航行システムは技術の進歩が目覚ましい分野です。
現役を退いて10年以上経っていますので、インターネットで最新技術や情報を調べています。ときには、現在5000トンの練習船で事務長をしている夫にも電話やメールで確認を入れます。あるいは他の職員に訊ねてもらうこともあります。

また、官庁が発行する水路誌等の書誌では、独特の言い回しがあります。結構高額ですが実際に既刊書を購入して参考にし、文章が不自然にならないよう注意しています。


どのような翻訳を受注されていますか

これまでお受けしたのは、観光としてホエールウォッチングを行っている会社の広告、船舶が航海するのに利用する「水路誌」(いわゆる船のガイドブックです)、新しい船舶航行システムに関する告知文書(英訳済み)について専門用語のチェックなどです。

私は個人的に翻訳者のサイトに登録しているだけですし、水産や海洋、船舶に関しては仕事自体も少ないですが、この分野を専門とする登録者も少ないので、たまにお仕事の依頼があるのだと思います。


翻訳のどのような点が面白いですか

一昨年初めて水路誌の翻訳をしました。担当は北海道周辺海域でした。インターネットで北海道沿岸海域についての情報や地図を調べ、それを参照しながら作業していくうち、自分が北の海域を航海しているような気分になりました。
実際は小樽にしか寄港したことはないのですが、翻訳が終わったときには「今航海士に戻っても北海道周辺ならどこでも走れそう」に思えました。

翻訳がまだ楽しいと感じられるような状況にはないですが、それだからこそ、終わった時の達成感は最高なのかもしれません。


翻訳者とライターを兼業していることについて、どのようにお考えですか。

翻訳者としてはまだ駆け出しですから偉そうなことを言える立場にありませんが、日本語の作文技術を高めることが「わかりやすい翻訳」につながることは短い経験の中で実感できました。

私が携わっているのは技術翻訳と呼ばれる分野ですが、水路誌を例にあげると、船舶の航進目標となる山頂や灯台について間違った記述をすれば安全航行に支障をきたす可能性があります。医学や薬学なら人命にかかわる、機械の操作なら事故につながる、どれも本来の目的を見失わない姿勢、英語力、日本語力とトータルで必要ですね。


今後、どのような翻訳を手がけてみたいですか

翻訳に関してはあくまでも「海」にこだわりたいと思っていますが、逆にいえば海ならなんでも・・ということでもあります。

また翻訳者としての夢と言えるかわかりませんが、単純に「自分の著書は自分で翻訳」してみたいと思っています。