BOOKBOX ライティングの未来形




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翻訳とライティングの可能性

商品価値としての翻訳や通訳は単なる語学レベルでは通用しない。そこには表現され、伝達されなければならないものが必ず存在するからだ。
その点はライティング力も同じだが、翻訳や通訳には、「表現行為」に対するある種の透視力が要る。つまり、「表現者」への敬意が前提だ。
だから翻訳通訳者と表現者を行ったり来たりする「トランスライター」は自省的でもある。その多くは自身のライフスタイルをもち、均衡を保ちつつ、無理をせず、独自のワークライフを作りだしてきている。そして、そんなグッドバランサーは女性に多い。





ライターから実務翻訳者へ変身

就職難の時代、ライターと派遣でのオンサイト翻訳を兼業、
その後、女性として無理なく長く続けられる在宅での実務翻訳者となる。
ボランティア翻訳も行い社会貢献にも積極的。


■翻訳者として

フリーランスの翻訳者として何年になりますか
一日のスケジュールや取り扱いの言語、分野について、教えてください

完全フリーになってから、9年目です。
平日の稼働時間は9時~16時で、夕方から家事や子供の世話などを終えた後、21時ごろから仕事を再開することが多いです。土日祝日は基本的に休みですが、仕事が入ることもあります。

英語から母国語である日本語に訳すIT分野の仕事が圧倒的に多いです。
ただし、ネイティブでないことを断った上で、平易な英訳をお引き受けすることもあります。


これまでに手掛けられた翻訳は

大手IT企業の資料がほとんどです。
トレーニング資料などの社内向けの文書もあれば、一般消費者向けのWebサイトやマニュアル等もあります。
ITはいろいろな業界で利用されていますから、化粧品や自動車、設計関連のソフトウェアの仕事をいただいたこともあります。ビジネス誌の記事のレビューもしていました。


そもそも翻訳者になろうとした動機は

高校、大学と英語科でしたし、読書好きの“文章フェチ”なので、書く仕事をしたいという気持ちはずっとありました。

しかし、翻訳会社で翻訳を担当する正社員のポジションはごくまれにしかありません。
就職難の時代だったこともあって、20歳代はライターと派遣でのオンサイト翻訳を兼業していました。

翻訳に絞ったのは、ライターは外出も多くスケジュールが不安定なので、女性として無理なく長く続けられるのは在宅でもできる翻訳だろうと思ったからです。結婚を機に、完全在宅に移行しました。


翻訳の品質を維持、向上のために、どのような工夫や努力をしていますか

語彙力も表現力も、いくら勉強しても完璧になるということがないので、気は抜けません。新聞やビジネス誌もただ漫然と読むのではなく、自分の中で追うテーマをもつようにしています。

また、この数年で2回出産をしていますが、休業はそれぞれ前後の1か月程度です。あまり長く仕事から離れると、感覚が鈍るので、スケジュールに空きがでないようにしています。

さらに、当然ながら、プロフェッショナルとしてお引き受けする以上、品質維持のため、スケジュールや内容に無理があるお仕事は辞退するようにしています。
人間ですから、無理をすれば、間違いも生じやすくなると思います。


情報技術分野の翻訳では、どのような点が難しいですか

IT分野といってもいろいろありますが、わたしの場合は情報セキュリティやネットワークに関するものを依頼されることが多いです。いずれもオンサイトで働いていた会社の専門分野です。

最初はちんぷんかんぷんで毎日が勉強でしたが、そのときに蓄えた知識が10年近く役立っていることになります。とはいえ、新しい概念や用語は次々に生まれていますし、依頼された文書にまだ日本ではあまり知られていない言葉や情報が含まれていることも多いです。
自分の理解が正しいか、確証が得られるまで、英文記事を延々と検索して調べることもあります。


翻訳のどのような点が面白いですか

完成度の高い英文を、同じくらい完成度の高い日本語に変換できたときは、「やった!」と思います。英文にとらわれすぎず、ぴったりな日本語を当てはめられたときも嬉しいです。

たとえば、ある記事で、”He doesn’t care about money.”を「彼はお金のことは気にしない」ではなく、「彼はお金に無頓着だ」というように簡潔に表せたようなときなどです。また、新出用語に自分なりに考えた訳語をあて、それがクライアント様に採用された場合も、「お役に立てた!」と達成感を感じます。


翻訳の仕事で技術的な課題や業界に望むことはありますか

技術的には、訳文の表記ルールや指定の訳語のチェックを自動的にできるようにならないものかと思います。

現状では、案件ごとに異なり、その分負荷が高くなっていますので。複数の翻訳者で大規模な案件を分担するときも、語句の統一や調整が一苦労です。一人で判断できない以上、問題と思われることは別途まとめて提出する必要がありますし、関係者のメーリングリストでその都度報告するように指示されることもあります。

全体としてみたとき、作業負荷に見合う報酬が得られていないと感じることもなくはないです。どこまでが翻訳者の仕事で、どこからが翻訳会社やレビューアの仕事なのか、そのあたりの境界線が曖昧なように思います。


■ライターとして

フリーの翻訳者になる前はライターもされていましたね

ライターの仕事は、最近はしていません。
以前は、女性向けの雑誌で、企画ものの占いや、美容健康に関するページを担当していました。


どのような経緯でライターを

大学をいったん卒業後、どうしても入りたかった別の大学の文学部に思い切って再入学しました。そこでできた友人から紹介されたのがきっかけです。

現任者が辞めるので、その後任として一緒にやらないか、と。
オンサイトで翻訳の仕事をしていたので、最初は手伝うかたちで入りました。


ライティングでは、どのような点を心掛けていますか

論理的であることが一番重要だと考えています。
たとえば、雑誌の美容健康や占いのページは、軽い気持ちで楽しみながら読むものなので、難しい言葉を使うのはご法度です。

読者は義務として読むわけではないのですから、引き込んで読ませる工夫は必要だと思います。疲れた頭で斜め読みしても理解できるように、読者のレベルとして“親戚の中学生”や“ご近所のおばあちゃん”を想定していました。
具体的に言うと、カタカナ語は最小限にし、平易な言葉で説明するように心がけるということです。


取材で難しい点は。たとえば、美容健康や占いの記事では

どちらの分野でも、専門とする方に取材協力や監修をお願いしました。美容健康の記事なら医師や医療器具メーカー、栄養士の方に、占い記事なら占い師や心理関係のお仕事をされている方に、といった具合です。

限られた時間の中で、必要な情報を引き出さなければならないので、事前調査は必須です。取材したけれども、今回の企画には合わないので使えないという残念なこともありました。


ライティングのどのような点が面白いですか

なんといっても、企画から参加できる点です。自分が興味をもっていることや、伝えたいことを盛り込むことができるので。

また、ライターでなければ会えないような方(その分野では有名な医師など)とお話できるのも魅力でした。


翻訳とライティングの相乗効果を意識することはありますか

ライターはゼロから文章を作りますから、どう読ませるか、という点で非常に工夫を凝らします。要望に応じて書き直しもありますから、いろいろな表現や書き方の「引き出し」が増えます。

また、期限に間に合わせるために徹夜することもあり、精神的に鍛えられます。今、翻訳をしていても、わかりやすくなるように語順を何度も並べ替えてみたり、言い回しを変えてみたりと、1つの文をこねくり回すのが日常ですが、まったく苦にならないのは、昔の経験があるからかもしれません。

逆に、翻訳者という立場から見て、方向性が定まらずだらだらと長く続く文章には、そういう曖昧さを許す日本語の特徴が悪く出ているなと思います。言葉の選び方や文の構造がいい加減だと、言いたいことが伝わりません。自分で英訳しにくい文は書かないように注意しています。

ライター経験は、レビューアとして仕事をする際にも役立っています。いかに自然な日本語にするか、いかに読者にアピールするかという視点は、翻訳だけをしていたら持ちにくかったかもしれません。


今後、どのような翻訳や執筆を手がけてみたいですか
理想像などがありましたら教えてください

実務翻訳はやりがいのある仕事ですが、もっと“やわらかい”翻訳として、出版翻訳にも挑戦したいと思っています。志望者が多く、非常に狭き門なので、簡単ではありませんが。

たとえば、海外の怖い話やSFは昔から大好きなので、何か仕事のきっかけがつかめたらいいなと思います。実際、“やわらかい”翻訳をしたくて、小冊子の翻訳ボランティアに何回か参加したこともあります。

さらに理想を言うなら、たまに趣味で書いている短編をいつかみなさんに読んでいただけるようになりたいです。今は自分の中にしかない物語を、美しい日本語に“変換”して世に出せたら、どんなにいいだろうと思います。
幸い、体が元気なかぎりは翻訳業に定年はないのですから、優れた翻訳家であり、稀有な作家でもある村上春樹さんのような存在を遠く夢見つつ、密かにがんばります。


翻訳者やライターを目指す方へメッセージをお願いします

よく勘違いされていることですが、翻訳で大切なのは、英語力よりも日本語力です。母国語以上に外国語が上達することはないと思います。日本人でも、漢字を間違えたり、言葉を取り違えたりすることはありますよね。

だからこそ、慢心せず、自分の日本語に十分な関心を払い、まめに辞書をひくことが重要なのではないでしょうか。もちろん、これは英語でも同様で、知っていると思う単語でも、第二、第三の意味がないかどうか、辞書で確認する癖をつけるとよいと思います。

たとえば、”policy”は「ポリシー」以外にも、内容によっては、「方針」、「政策」とすべき場合がありますし、保険業界では「保険証書」という意味で使われています。訳してみたけれど、なんだかしっくりこないなと思って調べてみると、知らなかった別の意味がみつかることはけっこうあります。こういうことは、学校と違って、誰も教えてくれません。自分でとことんまで追求する覚悟をもつのがプロフェッショナルな態度だとわたしは思います。